2026 哲学的思考事始め #1-1

哲学事始 for 2026:
#1-1 「諸行無常」という名の最新OSをインストール

諸行無常元年宣言

年末になると、わたしはいつもなにか”くせ”か, 妙に区切りをつけたかった。

今年を一言で言うと何だったか。

来年はどう生きるか。
抱負は何か。反省点は何か。

だが年末の私は、どれにも答えられなかった。
いや、正確に言えば、答えは山ほど浮かんだが、どれにも自信を持てなかった。

どの言葉も軽い。
どの決意も仮置きだ。
これだな掴んだと思った瞬間に、指の間からさらさらと落ちていく。

この感覚を、仏教ではずいぶん前から「諸行無常」諸行無常(しょぎょうむじょう)とは "Impermanence of all things"と呼んでいたようだ。
「すべては移ろう、形あるものは壊れ、意味あるものは色あせゆく。そして、正しささえも摩耗してゆく。」

 

私はこの言葉 単純に諸行無常
鴨長明の「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし」を、高校生の
時に古文で学んで「知って」いた。
だが年末、それを「感じて」しまった。知識と実感の差は、想像以上に大きい。

知っている諸行無常は、長い人生から見れば瞬時の座学での知識だ。
長い人生経験の中で、諸行無常について、”どうなの”と自分から問われてみれば”ああ諸行無常だな”と実感。

その瞬間、私は決めた。2026年を、哲学的思考開始元年にすると

哲学と聞くと、途端に肩が凝る人が多い。ギリシャ語、難解な概念、眠くなる本。
だがここで言う哲学は、そんな立派なものではない。

私が始めたいのは、
答えを急がないことを訓練することだ。

現代は、即答の時代だ。検索すれば答えが出る。AIは突っ込みもする。
沈黙すれば「負け」になる。
迷っていると「遅い」と言われる。

だが、諸行無常の世界で、そんなに早く答えてどうするのか。

 

変わってしまう前提の世界で、
確定させた言葉は、すぐに賞味期限が切れ、形骸化する。
何とかこんな地政学を変えなくては。

哲学的思考とは、「正しい答えを出す能力」ではない。
むしろその逆だ。

問いを問いのまま問い続ける耐久力である。

たとえば、
「自分らしく生きるとは何か」「チームらしく生きるとは何か」
この問いに、即答できる人は多い。

だがその答えは、
五年前の自分にもチームにも、五年後の自分にもチームにも通用するだろうか。
5年後にこのチームに存在するのだろうか。このチームは存在するのだろうか。

哲学は、その不安定さを嫌わない。むしろ、そこに腰をすえる。

今書いていることは、答えを慌てないし、また与えることもでもない。
思想を教えもしないし教えることでもない。
ただ、問いを並べる。

問いは、解決されるためだけに存在しない。問いは、ときに「一緒に生きる相棒」。

2026年も今までと同じように生きる。だが
私は問いと一緒に暮らすことになる、続けてみることにした。

不安定で、面倒で、役に立たないかもしれない。
だが少なくとも、「わかったふり」よりは誠実だ。

諸行無常元年。
これは、賢くなる年ではない。考え続けることを諦めない年だ。

 

#1-2 「諸行無常」はバグか、それとも仕様か?

  1. iPhoneのアップデートと平家物語

  1. 「私」という名のテセウスの船

  1. 「虚無」を「自由」に変換するアルゴリズム

1. 2026年、私たちは「変化のプロ」にならざるを得ない

2. ヘラクレイトスと鴨長明の「川」のダイナミクス

3. 「執着」という名のメモリリーク

では

#1-2 「諸行無常」はバグか、それとも仕様か?次回お会いしましょう。

#2「哲学事始めfor 2026」次回お会いしましょう。