技術開発の民族風土 中国
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「発想のモザイク」(技術開発の民族風土)(昭和47年(1972年)5月)に書かれている、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、スイスの発想方式の紹介を終え、それらの国の新型コロナウィルス感染の再増加のグラフをお見せしてきました。民族風土と関連はないか? 何か読み取れないか?その後ロシア、アメリカ人を投稿し。最後の中国を投稿します。
中国は瀋陽に、上海に、北京に、長城に、香港に、長期出張でいきました。きっと皆様も中国他これらの国やほかの国に滞在したり、旅行をして、各国々の発想方式に何か関心を持ったのではないでしょうか。中国の民族風土もいにしえ本を読んで随所抜粋しました。
南アフリカ共和国でCOVIDにOmicronとなずけられた以降3週間くらいです。グラフは最近の「中国」です。12月13日のデータです。70人から90人くらいです、
では中国の技術開発の民族風土を始めます。
日本人についてはhttps://wp.me/pc6MID-gI
の一番最後をご覧ください。
中国人の発想方式は積分回路的
中国人 発想の原点ー相手、 発想方式ー微分回路的、 時定数は大(日本人の時定数は7日くらい)
中華思想の張本人である中国人が、発想原点を相手の内に置くことは一見矛盾しているようだが中国人に接して見るとこれは実感である。老子の語に大きい器はなにものをも容れないとあるとおり、巨大な容器は内部であるか、外部であるかの識別が不可能である。この感じが中国人の発想原点であって、相手を立たているうちに、いつの間にか自己を強調していることになる。共産政権になってから、どぎつい自己主張を繰りかえしているが、これは一時の発作と見なすべきである。そのうちに収まって、あらゆるものを併呑するオペレーションが始まるであろう。
中国人の発想のメディアとして、表意文字である漢字がある。森羅万象を一つ一つ漢字で対応させようとしたプロジェクトは雄大であって、とてもアポロ計画などは比較にならない。この思想はローマ字のような表音文字と基本的に発想が異なり、表音文字を少数の機械要素 (ボルト、ナット、軸、歯車など)あるいは電気要素(抵抗、容量、ュイル、導線など)にたとえれば、表意文字 は モジュール(まとまった単位機械部分組立てあるいは電気回路)である。現在の機械工学および 電気電子工学の傾向は疑いもなくモジュール化への方向である。その意味で、言語学的にはどうであっても、技術的には表意文字が先行的である。このような漢字を発明した中国人の発想方式の特色は、モジュールを使う技術的根拠と同じくあるまとまった表現または思考の不変化、伝送の容易、交換の自由にある。いまでも中国を旅行すると経験するとおり、北京から同伴した通訳は、上海で怪しくなり、広州では瞬になる。そのとき通訳は指で空に漢字を書いて意志を表明している。これが漢字の効用である。止むを得ぬ欠点として、思想のマンネリズム化がある。これは漢字に捉われたわれわれ日本人の父祖のケースを考えてみるとすぐわかる。一応漢字による表現は高度のように見えても、内容はきわめて乏しい場合がか多った。しかし、さらに大きな思想の持主である中国の文人の詩文は、内容外観ともに偉大。優雅でリズムに富み(中国人による詩文の朗詠を聞け)、ちょうどモジュール回路を駆使した大システムの感じがする。これにくらべると、西欧詩文はアルファベットが露出し、ちょうどケースの外からボルトナット類が見える機械に似た感じがしないでもない。もっとも、西欧言語とても、余剰度のある綴りによって、ある程度表意文字化してはいる。このような中国人の発想方式は、ドイツ人のような積分回路式ではない。なぜかというと、相手の挙動を積算することがない。さりとて、イギリス人のように遅れのある比例回路式でもない。なぜかというと、 相手の挙動を遅れながら鋭く観察している方式ではない。どうしても、相手の傾向を見ながら、相手の思考方向を巧みに自己のペースへ引きこんでおいて、相手の要望に答えるふりをして自己の レディメイド、プレタポルテ、せいぜいイージーオーダーの思考をつかませる徴分回路方式である。これは何千年以来、異民族に接し、あるいは支配されて生きてきた中国人の生活の知恵であり、自己保全の道であった。中国を支配しようとする者は中国に支配される。その例は歴史に数えきれない。日本もまたその例外ではなかった。中国人の微分回路の時定数は大きく、ほとんど比例回路に近いが、根本的には微分であることを忘れてはならぬ。ゲインもまた強大であるが、比例回路的であるから不安定発散の恐れはない。この発想方式の中国が、結果としては似た発想方式のソ連と国境を接していることは興味ある事実である。しかし、微分回路と積分回路は完全に相反する思考様式である。この二様式が共存するはずがないと断言することはきわめて煽動的であって、軽率に決定できるものではない。両国民ともに落ちつけば共存しうるが、興奮(めったにない)すれば危機はある。そのとき、歴史の既成事実
(現在の両国民の責任ではない)が興奮剤になる。それよりも問題は、この発想方式の中国人の近くに生活している日本人の反応であろう。発想方式は同じ微分回路ながら、時定数に大差のある日中両国民はまるで互いに異質な民族のように思考する。中国人がまさに狙っているように、日本人は自己誘導によって発想傾斜を中国人のそれに合わせ(アメリカは日中両国の共同の敵だというかつての個人的声明のたぐい)、自主的発想がきわめて不足ではないかと思わせる。
一五年前の一九五七年夏に私は中国を訪問して二ヵ月近く北京に滞在した。そのときの経験からして、中国には魔力があることを感じた。魔力というのは情緒的な表現だが、いいかえると中国人の指導者はすぐれた心理学者である。すなわち、こちらの心理の動きを先行して予想しているのである。当時の私が単なる気象技術者でなくて、公的な地位にあったら、故浅沼稲次郎氏のような発言をしないとは断言できなかった。その強烈なモティーフは同じ黄色人種だからという点にある。これは理論でなくて本能的なものだから、制御し説得できない衝動である。しかし、理性が活動を再開するのは、北京の乾いた大気とその青空に浮かぶ積雲を忘れかけたころである。この再思考ないままに滞在中の見聞を書けば、背筋が寒くなる婿態となる (最近の新聞に過ぎた日中戦争の反省が掲載されているが、それはもっと早くなされるべきではなかったか。他の大国への当然の抗畿とともに)。考えの深い中国人層は、このような日本人の時定数の小さい反応をそのままに受け止めはしないであろう。すぐ反省することは、再び繰りかえす可能性の前奏にすぎない。北京大学で私が、かってアメリカで学んだ若い教授に、日本人はアメリカ兵に占領されて占領の意味を知った」と述べると、教授は即座に反発した。アメリカ兵にょる占領と日本兵による占領が比較できると思いますか?」私は赤面した。同時に他の大国へ反発したくな った。技術開発における中国人の発想は、原水爆、航空機、ミサイルなどにおける最近の手法が判明しないため、確言はできない。しかし私の中国における滞在、国際学術会議で会った中国科学技術者との意見交換などから推定すると、わずかの手がかりから、骨身を惜しまずに動向を推測し、試行錯誤を繰りかえしながら前進する微分型式であることはまず疑う余地がないであろう (日本も明治維新前後に同じ手法をとった)。これは第二次世界大戦でドイツという「宝の山」を占拠したソ連よりも、苦難に満ちた道であるが、軟かい頭の中国人はかならずアリの努力を続けて止まないにちがいない。
以上抜粋です、
日本人といえ、この人は、積分回路発想、微分回路発想、時間遅れ積分回路発想、時間遅れ微分回路発想、比例回路発想、時間遅れ比例回路発想などなどの回路と回路組み合わせによりみてみると何か新しい発見が生まれるかもしれません。
日本人についてはhttps://wp.me/pc6MID-gI
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Have a safe and nice day.